海外在住の長女が署名証明を取り直せず、合意済みでも未分割申告になった事例

「遺産の分け方には賛成しています。でも、訂正版の協議書について署名証明を取り直せるのは、相続税の申告期限後になります」

海外で暮らす長女から連絡がありました。

父の遺産をどのように分けるかについて、母、長男、長女の意見はすでに一致していました。長女は一度、在外公館で遺産分割協議書に署名し、署名証明も取得しています。

ところが、相続登記の準備中に協議書の財産表示の誤りが見つかりました。訂正版を作ると、長女は改めて署名証明を取得しなければなりません。

再取得できる日は、相続税の申告・納付期限後でした。

この事例では、遺産分割の合意ができていても必要書類がそろわないため、期限内は未分割の状態で相続税を申告・納付しました。その後、署名証明がそろって遺産分割が成立したため、母は更正の請求、長男と長女は修正申告を行いました。

今回のケースはモデルケースです

この記事は、海外在住の相続人がいる場合の署名証明、納税管理人、国外送金、未分割申告と分割後の手続を説明するため、複数の相談事例や実務上の論点をもとに再構成したモデルケースです。

家族構成、財産の内容、居住地域、評価額、送金額、金融機関、在外公館、日付などは、実際の案件を特定できないように変更しています。

税額や手続の結果も、記事の内容を分かりやすくするために設定したモデルです。実際の相続税額や必要書類は、相続人、財産、債務、遺言、居住国、日本側の提出先などによって異なります。

相続人は母・長男・海外在住の長女の3人

父が2025年1月20日に亡くなりました。

遺言書はなく、相続人は母、長男、長女の3人です。

相続人 父との関係 法定相続分 居住地
母 配偶者 2分の1 日本国内
長男 子 4分の1 日本国内
長女 子 4分の1 北米地域

長女は仕事の都合で北米地域に暮らしており、日本には住民登録がありません。日本の印鑑登録も抹消されているため、印鑑登録証明書を取得することはできませんでした。

母と長男は日本国内に住んでおり、税理士や登記手続の担当者との打合せにも参加できました。一方、長女との連絡には時差があり、書類の原本をやり取りするには国際郵便の日数も必要でした。

相続人間に争いはありませんでしたが、国内だけで完結する相続よりも、書類と納税の準備を早く進める必要がありました。

相続財産は合計1億6,000万円だった

父の相続財産は、次のとおりです。

財産 相続税評価額 状況
自宅土地・建物 5,000万円 母が居住
賃貸不動産 5,500万円 長男が管理を補助
預貯金 3,000万円 国内の金融機関
上場株式 2,500万円 国内の証券会社
合計 1億6,000万円 -

この記事では、説明を分かりやすくするため、債務と葬式費用は考慮していません。

母は自宅に住み続けることを希望していました。長男は、父の生前から管理を手伝っていた賃貸不動産を引き継ぎたいと考えていました。

長女は、自宅を母が取得し、賃貸不動産を長男が取得することに異論はありませんでした。ただし、長男が取得する賃貸不動産の価額が大きいため、預貯金と上場株式だけでは長女との間に差が残ります。

そこで、長男が長女へ代償金500万円を支払うことにしました。

5月15日に財産の分け方は決まっていた

家族が合意した分割内容は、次のとおりです。

相続人 取得する財産 取得額 代償金調整後の取得額
母 自宅5,000万円、預貯金1,000万円 6,000万円 6,000万円
長男 賃貸不動産5,500万円 5,500万円 5,000万円
長女 預貯金2,000万円、上場株式2,500万円 4,500万円 5,000万円
合計 - 1億6,000万円 1億6,000万円

長男が長女へ代償金500万円を支払うため、長男と長女の実質的な取得額はそれぞれ5,000万円になります。

2025年5月15日には、3人の間でこの分割内容について基本的な合意ができていました。

6月10日、財産の表示や代償金の支払方法を記載した遺産分割協議書の案を長女へ送りました。

長女は7月に居住地を管轄する在外公館へ連絡し、署名証明の予約方法、必要書類、協議書へ署名する時期を確認しました。

海外在住の長女には署名証明が必要だった

日本に住民登録がなく、印鑑登録証明書を取得できない日本人が、日本国内の相続登記などを行う場合、印鑑登録証明書に代えて在外公館の署名証明を求められることがあります。

署名証明には、在外公館が発行する証明書と、領事の面前で署名した私文書を綴り合わせる形式があります。どの形式が必要かは、日本側の提出先へ事前に確認する必要があります。

長女は、遺産分割協議書へ事前に署名せず、原本を在外公館へ持参しました。

2025年8月12日、長女は領事の面前で遺産分割協議書に署名し、署名証明を取得しました。

署名証明の基本的な取扱いは、外務省の「在外公館における証明」で説明されています。

長女の相続税は本人の資金から期限内に納付することにした

長女は海外に住んでいるため、日本国内で相続税の申告書の受領や納税手続を担当する者を定めることにしました。

2025年9月15日、長女は長男を納税管理人に定めました。

長女の当初の相続税は430万円と見込まれました。そこで長女は、納税額430万円と送金手数料などに備える予備資金10万円を合わせ、440万円を日本へ送金することにしました。

2025年10月25日、長女は自分の海外口座から長男の国内口座へ440万円を送金しました。

この440万円は、長男が長女の相続税を立て替えたものではありません。長女自身の資金を、日本国内で本人名義の相続税を納付するために送金したものです。

長男は、送金記録、入金記録、納付書と領収記録を保管し、長女本人の相続税として納付できるように準備しました。

署名証明を取り直す必要が生じた

10月30日、相続登記の準備を進める過程で、遺産分割協議書に記載した賃貸建物の表示に誤りがあることが分かりました。

このままでは相続登記に使用できないため、建物の表示を訂正した遺産分割協議書を作り直す必要があります。

10月31日、訂正版の遺産分割協議書を長女へ送りました。

しかし、8月12日に取得した署名証明は、訂正前の遺産分割協議書に対して発給されたものです。訂正版へそのまま流用することはできません。

日本に住民登録がなく、印鑑登録証明書を取得できない長女は、訂正版について改めて署名証明を取得する必要がありました。

郵送や代理申請では署名証明を取得できなかった

在外公館の署名証明は、申請者本人が領事の面前で書類へ署名したことを証明するものです。

そのため、代理人による申請や郵便による申請はできません。オンラインで事前申請できる在外公館であっても、署名証明については本人が公館へ出向き、領事の面前で署名する必要があります。

家族は、期限が迫っているため、現地の公証人による署名認証で代替できないかも確認しました。

しかし、現地公証人の認証を日本の提出先が受理するか、翻訳や追加の認証が必要かは、提出先や所在国によって異なります。本件では、必要な確認と手続を11月20日までに完了できる見通しが立ちませんでした。

長女が利用する在外公館の予約状況と、本人が出向ける日程を確認した結果、訂正版の遺産分割協議書について署名証明を再取得できるのは、11月28日になることが分かりました。

取得後の原本が日本へ到着するのは、さらにその後です。

合意内容は変わっていません。それでも、訂正版の協議書と署名証明がそろわない以上、11月20日までに遺産分割が成立したものとして手続を進めることはできませんでした。

期限までに分割を成立させることと、申告・納付を分けて考えた

11月上旬の時点で、訂正版の署名証明が申告期限に間に合わないことが明らかになりました。

そこで家族は、遺産分割を無理に期限内へ間に合わせようとするのではなく、次の二つを分けて考えました。

  • 遺産分割は、必要書類がそろった後に成立させる
  • 相続税の申告と納付は、未分割の状態で期限内に行う

なお、急ぎの場合であっても、現地公証人の認証なら必ず代用できる、又は在外公館が必ず特別に対応するとは限りません。提出先や在外公館への個別確認が必要です。

未分割申告時の相続税は合計1,720万円だった

相続人は3人であるため、相続税の基礎控除額は次のとおりです。

3,000万円+600万円×3人=4,800万円

相続財産1億6,000万円から基礎控除額4,800万円を差し引くと、課税遺産総額は1億1,200万円になります。

相続税の総額は、課税遺産総額を法定相続分で取得したものとして計算します。

相続人 法定相続分に応じた取得額 税額計算
母 5,600万円 5,600万円×30%-700万円=980万円
長男 2,800万円 2,800万円×15%-50万円=370万円
長女 2,800万円 2,800万円×15%-50万円=370万円
合計 1億1,200万円 1,720万円

未分割の状態では、各相続人が法定相続分に従って取得したものとして、相続税の総額を割り振りました。

相続人 法定相続分 当初納付額
母 2分の1 860万円
長男 4分の1 430万円
長女 4分の1 430万円
合計 - 1,720万円

未分割であっても相続税の申告期限は延長されません。また、未分割の財産については、原則として配偶者の税額軽減を適用できません。

詳しくは、国税庁の「相続財産が分割されていないときの申告」で説明されています。

11月20日までに未分割で申告・納付した

2025年11月18日、母は860万円、長男は430万円を納付しました。

長男は、長女から送金された440万円のうち430万円を、長女本人の相続税として納付しました。残った10万円は、送金手数料などを精算した後、長女の指示に従って処理することにしました。

2025年11月20日、3人は未分割の状態で相続税申告書を提出しました。

この時点では、5月15日に分割内容の基本合意ができていても、訂正版の遺産分割協議書に必要な署名証明がそろっていません。

したがって、合意予定の取得額ではなく、法定相続分に従って財産を取得したものとして申告・納付しました。

期限後に署名証明がそろい、遺産分割が成立した

2025年11月28日、長女は訂正版の遺産分割協議書について署名証明を取得しました。

12月5日、署名証明が付いた訂正版の遺産分割協議書の原本が日本へ到着しました。

12月10日、母と長男も訂正版の協議書へ署名・押印し、遺産分割が成立しました。

2026年1月、預貯金と上場株式の名義変更・払戻しを行い、長男は長女へ代償金500万円を支払いました。

これにより、母の取得額は6,000万円、長男と長女の取得額は代償金を反映してそれぞれ5,000万円となりました。

分割後の相続税は母0円、長男・長女各537万5,000円になった

遺産分割後は、実際の取得額に応じて相続税の総額1,720万円を割り振ります。

相続人 実際の取得額 配偶者の税額軽減前 最終税額
母 6,000万円 645万円 0円
長男 5,000万円 537万5,000円 537万5,000円
長女 5,000万円 537万5,000円 537万5,000円
合計 1億6,000万円 1,720万円 1,075万円

母は、実際に取得した財産が1億6,000万円以下であるため、配偶者の税額軽減によって最終税額が0円になりました。

配偶者の税額軽減については、国税庁の「配偶者の税額の軽減」で説明されています。

当初納付額と分割後の税額を比較すると、次のとおりです。

相続人 当初納付額 分割後の税額 還付額・追加納付額
母 860万円 0円 860万円還付
長男 430万円 537万5,000円 107万5,000円追加納付
長女 430万円 537万5,000円 107万5,000円追加納付
合計 1,720万円 1,075万円 645万円減少

母は更正の請求を行い、860万円の還付を求めました。長男と長女は修正申告を行い、それぞれ107万5,000円を追加納付しました。

子ども2人の税額が増えたのは、未分割申告時の法定相続分4分の1に相当する取得額4,000万円よりも、分割後の実際の取得額5,000万円の方が多くなったためです。

家族全体では、配偶者の税額軽減が適用されたことにより、最終的な相続税は1,720万円から1,075万円へ645万円減少しました。

長女は国内の預貯金から追加納付した

長女は、遺産分割によって国内の預貯金2,000万円を取得しました。

2026年2月、長女はこの預貯金から追加納付額107万5,000円を納付しました。納付後の預貯金残額は1,892万5,000円です。

2,000万円-107万5,000円=1,892万5,000円

長女が海外から再び送金したわけではありません。分割後に取得できるようになった国内預貯金から、自分の追加税額を納付しました。

この事例から分かること

海外在住の相続人がいる場合、遺産の分け方について全員が合意していても、期限までに遺産分割が成立するとは限りません。

本件では、長女が一度は署名証明を取得していました。しかし、協議書の財産表示を訂正したため、訂正版について署名証明を取り直す必要が生じました。

急いでいる場合でも、署名証明は代理申請や郵便申請では取得できません。現地公証人による認証で代替できる可能性があっても、日本側の提出先が受理するか、追加の認証や翻訳が必要かを確認しなければなりません。

また、書類が間に合わなくても、相続税の申告・納付期限は延びません。

そのため、次の事項を別々に管理する必要があります。

  • 遺産分割の合意内容
  • 遺産分割協議書と署名証明の準備
  • 国際郵便に必要な日数
  • 納税管理人の選任
  • 国外送金と着金確認
  • 未分割で申告・納付する場合の税額
  • 分割後の更正の請求と修正申告

海外在住の相続人がいる相続では、合意、書類、納税資金の三つを、申告期限から逆算して管理することが重要です。