土地の売却代金で相続税を払う予定だったのに、遺産分割がまとまらず売買契約へ進めなかった事例
「買主が見つかったので、相続税の納税資金は確保できる」
ご家族はそう考えていました。
父の相続財産は1億8,000万円ありましたが、その大部分は不動産で、預貯金は500万円だけでした。そこで、使っていなかった更地を売却し、その代金で相続税を納付する予定でした。
更地には7,800万円の購入申込みが入り、母・長男・長女の全員が売却自体には賛成していました。
それでも、売買契約へ進むことができませんでした。
売却代金を誰が受け取り、相続税を支払った後の残額をどう管理するのかが決まっていなかったからです。
この事例では、遺産全体の分割を期限までに成立させることをいったん断念し、売却予定の更地だけを一部分割しました。その結果、相続登記、売買契約、決済を進め、相続税の申告・納付期限に間に合わせることができました。
今回のケースはモデルケースです
この記事は、未分割不動産の売却と相続税の納税資金について説明するため、複数の相談事例や実務上の論点をもとに再構成したモデルケースです。
家族構成、財産の内容、所在地、評価額、売却価格、買主、仲介会社、日付などは、実際の案件を特定できないように変更しています。
税額や手続の結果も、記事の内容を分かりやすくするために設定したモデルです。実際の相続税額や採用できる対応方法は、相続人、財産、債務、遺言、過去の贈与などによって異なります。
相続人は母・長男・長女の3人
父が1月20日に亡くなりました。
遺言書はなく、相続人は母、長男、長女の3人です。
| 相続人 | 父との関係 | 法定相続分 |
|---|---|---|
| 母 | 配偶者 | 2分の1 |
| 長男 | 子 | 4分の1 |
| 長女 | 子 | 4分の1 |
母は、父と暮らしていた自宅にそのまま住んでいます。
長男は、以前から父の賃貸不動産の管理を手伝っていました。長女は結婚後に別居し、不動産の管理には関与していませんでした。
父の死亡後、母は自宅への居住を続けたいと希望しました。長男は賃貸不動産を引き継ぎたいと考えていました。
長女も、母が自宅に住み続けることには異論がありませんでした。しかし、長男が賃貸不動産を取得するのであれば、自分との間で金額の調整が必要だと考えていました。
長男には、長女へ多額の代償金を支払うだけの自己資金がありません。
このため、自宅と賃貸不動産を誰が取得するかについて、話合いが止まっていました。
財産1億8,000万円のうち、預貯金は500万円だけだった
父の相続財産は、次のとおりです。
| 財産 | 相続税評価額 | 状況 |
|---|---|---|
| 自宅土地・建物 | 6,000万円 | 母が居住 |
| 賃貸不動産 | 4,500万円 | 長男が管理を補助 |
| 売却予定の更地 | 7,000万円 | 買主候補あり |
| 預貯金 | 500万円 | 葬儀費用等の支出後 |
| 合計 | 1億8,000万円 | - |
相続財産は合計1億8,000万円ありましたが、納税に使いやすい預貯金は500万円だけでした。
自宅には母が住んでいるため、納税のために売却することは現実的ではありません。
賃貸不動産は賃料収入を生んでおり、長男が引き継ぐことを希望していました。こちらも、すぐに売却するという選択にはなりませんでした。
そのため、納税資金を確保するために売却できる財産は、更地に限られていました。
父は「更地を売って相続税を払えばよい」と考えていた
父は生前、家族に次のように話していました。
「相続税が必要になったら、更地を売って払えばよい」
母、長男、長女も、更地を売却すれば納税資金を確保できると考えていました。
しかし、父の発言は遺言ではありません。
更地を誰が取得するのか、誰が売主になるのか、売却代金をどの口座で受け取るのか、相続税を支払った後の残額をどのように扱うのかまでは決められていませんでした。
「更地を売る」という方向性が家族の間で共有されていても、それだけで相続登記や売買契約を進められるわけではありません。
また、更地の相続税評価額は7,000万円でしたが、不動産会社を通じて提示された購入価格は7,800万円でした。
相続税の計算に使用する評価額と、実際の売却価格は同じものではありません。本件では、相続税評価額7,000万円の土地について、7,800万円の購入申込みが入ったという設定です。
買主候補はいたが、売買契約へ進めなかった
6月、不動産会社から、更地を7,800万円で購入したいという買主候補が現れたとの連絡がありました。
母、長男、長女はいずれも、更地を売却すること自体には賛成しました。
それでも、売買契約書への署名には進めませんでした。
長女は、売却代金の扱いについて次の点を確認したいと考えていたからです。
- 売却代金を誰の口座で受け取るのか
- 仲介手数料や測量費を誰が負担するのか
- 相続税を支払った後の残額を誰が管理するのか
- 更地の売却に同意すると、自宅や賃貸不動産の分け方にも同意したことにならないか
- 長男が売却代金を管理したままにならないか
長女も、相続税の納付に更地の売却代金が必要なことは理解していました。
しかし、売却代金の帰属や管理方法が決まっていない状態では、売却書類に署名できませんでした。
長女が反対していたのは、更地を売ることではありません。売却後のお金の扱いを決めないまま手続を進めることでした。
一方、自宅と賃貸不動産を含めた遺産全体の分け方については、7月から8月にかけても合意できませんでした。
売却自体には全員が賛成しているのに、その前提となる条件が決まらず、売買契約へ進めない状態になったのです。
未分割でも相続税約2,200万円の納期限は延びない
9月5日、税理士が財産評価と相続税の計算状況を整理しました。
相続人は母、長男、長女の3人であるため、相続税の基礎控除額は次のとおりです。
3,000万円+600万円×3人=4,800万円
相続財産1億8,000万円から基礎控除額4,800万円を差し引くと、課税遺産総額は1億3,200万円になります。
相続税の総額は、まず課税遺産総額を法定相続分で分けたものとして計算します。
| 相続人 | 法定相続分に応じた取得額 | 税額計算 |
|---|---|---|
| 母 | 6,600万円 | 6,600万円×30%-700万円=1,280万円 |
| 長男 | 3,300万円 | 3,300万円×20%-200万円=460万円 |
| 長女 | 3,300万円 | 3,300万円×20%-200万円=460万円 |
| 合計 | 1億3,200万円 | 2,200万円 |
この計算で求めた2,200万円が、家族全体の相続税の総額です。
次に、未分割の状態では、各相続人が法定相続分に従って財産を取得したものとして、相続税の総額を割り振ります。
| 相続人 | 法定相続分 | 当初納付額 |
|---|---|---|
| 母 | 2分の1 | 1,100万円 |
| 長男 | 4分の1 | 550万円 |
| 長女 | 4分の1 | 550万円 |
| 合計 | - | 2,200万円 |
相続税の申告・納付期限は、原則として、被相続人が亡くなったことを知った日の翌日から10か月以内です。
本件の申告・納付期限は11月20日でした。
遺産分割協議が終わっていなくても、申告期限は延びません。
また、未分割の申告では、原則として配偶者の税額軽減や小規模宅地等の特例を適用できません。そのため、この時点では母にも1,100万円の納付が必要でした。
未分割でも期限までに申告・納付が必要であることは、国税庁の「相続財産が分割されていないときの申告」でも説明されています。
預貯金をすべて使っても約1,700万円不足した
父の預貯金は、葬儀費用などを支払った後で500万円残っていました。
この500万円をすべて相続税の納付に回しても、次の金額が不足します。
相続税2,200万円-預貯金500万円=不足額1,700万円
母には、自己資金だけで1,100万円を納付する余裕がありません。
長男と長女にも、家族全体の不足額1,700万円を一時的に立て替えられるだけの資金はありませんでした。
更地を期限までに売却できなければ、家族は相続税の納税資金を別に用意しなければなりません。
9月15日には、買主から「10月末までに決済できなければ、購入条件を見直したい」と連絡がありました。
11月20日の相続税の納期限だけでなく、買主が待てる期限も迫っていました。
家族が検討した6つの選択肢
家族は、納税資金を確保するために6つの選択肢を検討しました。
| 選択肢 | 本件での検討結果 |
|---|---|
| 遺産全体の分割を成立させる | 自宅と賃貸不動産を巡る意見の差があり、10月末までの合意は難しい |
| 未分割のまま全員で売却する | 売却代金の管理方法について長女の了承を得られない |
| 納税資金を借りる | 審査、担保、利息、返済方法の確認が必要なため予備案とする |
| 延納を申請する | 単純な期限延長ではなく、要件、担保、利子税がある |
| 物納を申請する | 延納でも納付困難であることなどの要件があり、共有状態の土地には問題がある |
| 更地だけを一部分割する | 更地の取得割合と代金の扱いを明確にできるため採用する |
延納は、土地が売れるまで納付を待ってもらう制度ではありません。
相続税額が10万円を超えること、金銭で納付することが困難であること、原則として担保を提供すること、納期限までに申請することなどの要件があります。延納期間中には利子税も生じます。
物納は、延納によっても金銭で納付することが困難な場合に、一定の相続財産を相続税の納付に充てる制度です。
二人以上の共有に属する不動産は、原則として管理処分不適格財産に該当します。そのため、未分割の更地をそのまま物納すれば解決するとは考えませんでした。
本件では、買主候補がいて、決済が終われば納税資金を確保できます。
そこで、遺産全体の合意を急ぐのではなく、更地の処理だけを他の財産の協議から切り離すことにしました。
遺産全体ではなく、更地だけを一部分割した
家族は、自宅と賃貸不動産について結論を出すことをいったん見送りました。
そのうえで、売却予定の更地だけを対象とする一部分割協議を行いました。
一部分割協議では、次の内容を確認しました。
- 更地は母が2分の1、長男と長女がそれぞれ4分の1で取得する
- 3人全員が売主として売却手続に協力する
- 売却代金は同じ割合で各相続人に帰属させる
- 仲介手数料や測量費なども同じ割合で負担する
- 各相続人は、自分に帰属する売却代金から自分の相続税を納付する
- 譲渡所得税の見込額は、売却代金から別に確保する
- 今回の一部分割は、自宅と賃貸不動産の取得者を決めるものではない
更地の売却代金7,800万円は、次のように各相続人へ帰属することになりました。
| 相続人 | 更地の取得割合 | 売却代金の帰属額 |
|---|---|---|
| 母 | 2分の1 | 3,900万円 |
| 長男 | 4分の1 | 1,950万円 |
| 長女 | 4分の1 | 1,950万円 |
| 合計 | - | 7,800万円 |
売却代金の帰属、費用負担、相続税の納付方法が明確になったため、長女も売却手続に協力できるようになりました。
ただし、自宅と賃貸不動産については何も決まっていません。
一部分割によって遺産分割全体を解決したのではなく、期限内の納税に必要な更地だけを先に処理したのです。
相続登記・売買契約・納税を期限から逆算した
一部分割の方針が決まった後は、相続税の納期限から逆算して手続を進めました。
| 時期 | 手続 |
|---|---|
| 9月下旬 | 更地だけを対象とする一部分割の内容を確認 |
| 10月上旬 | 一部分割協議が成立 |
| 10月上旬 | 更地について相続登記を申請 |
| 10月中旬 | 買主と売買契約を締結 |
| 10月末 | 売買代金の決済と土地の引渡し |
| 11月中旬 | 各相続人が相続税を納付 |
| 11月20日 | 相続税の申告・納付期限 |
税理士は、税額、資金不足額と期限を整理しました。
具体的には、次の事項を整理しました。
- 未分割申告時の相続税額
- 預貯金を充当した後の不足額
- 更地の売却が間に合う最終時期
- 延納を選んだ場合の要件と負担
- 更地だけを一部分割した場合の相続税上の扱い
- 相続税評価額と売却価格の違い
- 売却後に生じる譲渡所得税への備え
- 自宅と賃貸不動産を未分割のまま残した場合の申告方法
家族は、遺産全体の分割をいつまでに終えるかではなく、納税資金を期限までに確保するために、どの手続をいつ行う必要があるかという順序で検討しました。
売却代金の残額をすぐに分けなかった理由
更地の売却代金7,800万円と相続税2,200万円との差額は、単純計算では5,600万円です。
しかし、これは売却費用や譲渡所得税を差し引く前の金額です。5,600万円をそのまま自由に使えるわけではありません。
不動産の売却には、次のような費用や税金が生じる可能性があります。
- 仲介手数料
- 測量費
- 登記関係費用
- 売買契約書の印紙税
- 譲渡所得に対する所得税・住民税
譲渡所得税は、売却価格だけで決まるものではありません。
父が更地を取得したときの取得費、保有期間、売却費用、相続税の取得費加算の特例を適用できるかなどを確認する必要があります。
そのため、相続税を納付した後も、売却費用と譲渡所得税の見込額を確保しました。
売却代金の残額をすぐに使い切らず、後から必要になる費用と税金に備えたのです。
相続税の納付後も、自宅と賃貸不動産は未分割のまま残った
母は、更地の売却代金のうち3,900万円の帰属を受け、そこから相続税1,100万円を納付しました。
長男と長女は、それぞれ1,950万円の帰属を受け、そこから相続税550万円ずつを納付しました。
| 相続人 | 売却代金の帰属額 | 相続税の納付額 |
|---|---|---|
| 母 | 3,900万円 | 1,100万円 |
| 長男 | 1,950万円 | 550万円 |
| 長女 | 1,950万円 | 550万円 |
| 合計 | 7,800万円 | 2,200万円 |
これにより、家族は11月20日の期限までに相続税の申告と納付を行うことができました。
ただし、遺産分割がすべて終わったわけではありません。
母が住んでいる自宅と、長男が取得を希望する賃貸不動産は、引き続き未分割のままです。
今後、自宅を母が取得するのか、賃貸不動産を長男が取得するのか、長女との金額調整をどのように行うのかについて、協議を続ける必要があります。
将来、遺産分割が成立して各相続人の実際の取得額が変われば、相続税の再計算が必要になる場合もあります。
この事例から分かること
買主候補が見つかっただけでは、相続税の納税資金を確保できたことにはなりません。
相続した不動産を売却するには、売却手続だけでなく、次の事項も整理する必要があります。
- 誰が不動産を取得するのか
- 誰が売主になるのか
- 売却代金を誰が受け取るのか
- 売却費用を誰が負担するのか
- 各相続人がどのように相続税を納付するのか
- 売却後の譲渡所得税にどう備えるのか
また、遺産分割が終わっていなくても、相続税の申告・納付期限は延びません。
本件では、自宅と賃貸不動産を含む遺産全体の分割を、期限までに成立させることはできませんでした。
そこで、すべてを一度に決めるのではなく、納税資金の確保に必要な更地だけを先に分けました。
遺産分割そのものは終わりませんでしたが、相続登記、売買契約、決済、相続税の納付を期限内に進めることができました。
不動産の売却代金を相続税の納税資金にする場合は、「土地を売ればよい」で終わらせず、遺産分割、相続登記、売却、決済、申告・納付を一つの時系列として整理することが重要です。